人に節目が必要な理由

人に節目が必要な理由

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楽譜の中のIctus(イクタス)

音楽には「Ictus(イクタス)」という言葉がある。

楽譜の中で、拍の強点を示すもの。指揮者がタクトを振り下ろす瞬間。音楽が音楽として成り立つのは、この強点があるからである。

すべての音が同じ強さで流れていたら、それはただの音の羅列になる。Ictus(イクタス)があることで、音楽にリズムが生まれ、聴く人の心が動き、演奏者が同じ方向を向ける。

この原理は、音楽だけに留まらない。


節目という構造

人間の生活には、古くから「節目」が組み込まれてきた。

神社への参拝。卒業式や入社式。誕生日や記念日。季節の行事。通過儀礼。これらは単なる慣習ではない。日常の流れの中に意図的に「強点」を置くことで、人が方向を見失わないための構造である。

文化人類学者ファン・ヘネップ(van Gennep, 1909)は、これを「通過儀礼」として体系化した。分離、移行、統合という三段階を経て、人は一つの状態から別の状態へと移行する。その境界に置かれた儀礼が、変化を意味あるものにする。

節目とは、連続する時間の中に打ち込まれた杭である。そこで立ち止まり、自分を見つめ、方向を確認する。その瞬間があるから、人は前に進める。


節目が失われるとき

現代社会において、この節目が希薄になりつつある。

効率を追求する中で、立ち止まる時間は「無駄」と見なされる。リモートワークの普及により、物理的に集まる機会が減った。伝統的な行事や儀礼は形骸化し、その意味が忘れられつつある。

組織においても同様である。かつては当たり前にあった「確認の時間」が、いつの間にか失われていく。忙しさの中で後回しにされ、やがて存在自体が忘れられる。

節目がなくなったとき、何が起きるか。

人は終わりの見えない継続性の中で、自分が何者なのか分からなくなる。チームは同じ方向を向いているのか確信が持てなくなる。すべてが同じ強さで流れていく日常の中で、人は静かに迷子になっていく。


自分が何者かを確認する時間

人は、定期的に「自分は何者か」を確認しないと、どこに向かっているのか分からなくなる。

これは弱さではない。人間の認知構造に由来する必然である。私たちは日常の中で無数の情報と刺激にさらされ、自己の輪郭は少しずつ曖昧になっていく。意識的に立ち止まり、自分の価値観を確認する時間がなければ、いつの間にか他者の期待や社会の基準に流されていく。

組織においても同じことが言える。メンバーが定期的に「私たちはこういうチームだ」と確認し合う時間がなければ、一体感は徐々に失われていく。目の前のタスクに追われる中で、なぜこの仕事をしているのか、どこに向かっているのかが見えなくなる。

節目とは、その確認の瞬間である。


意図的に強点を置くこと

楽譜に強点があるように、人生にも、組織にも、強点(Ictus)が必要である。

すべてが同じ強さで流れていく日常の中で、意図的に立ち止まる瞬間を作ること。それは贅沢ではなく、必要な構造である。

診断を受けること。ワークショップに参加すること。1on1ミーティングを行うこと。チームで対話の時間を持つこと。これらはすべて、日常の中に打ち込む杭である。

価値観診断は、「私はこういう人間だ」という確認の瞬間を届ける。ワークショップは、「私たちはこういうチームだ」と確認し合う時間を届ける。

指揮者がタクトを振り下ろす瞬間のように、人が自分自身を取り戻す瞬間を、私たちは作りたい。


Ictus Laboratoryという名前

私たちは、この会社を「Ictus Laboratory」と名付けた。

Ictusという言葉には、複数の意味がある。音楽ではリズムの強拍。詩学では強調される音節。医学では「発作」や「突然の出来事」。ラテン語の語源では「打撃」や「衝撃」。

これらに共通するのは、「決定的な一点」という概念である。連続する時間の中で、そこだけが特別な意味を持つ瞬間。流れていく日常の中で、ふと立ち止まる転換点。それまでと、それからを分ける境界。

価値観に触れるとき、人はこの「Ictus」を経験する。普段は意識されない価値観が、喪失の恐怖や選択の葛藤を通じて、突然意識の表面に浮上する。それは静かな気づきであることもあれば、人生を変える衝撃であることもある。

Laboratoryは「実験室」を意味する。私たちは価値観の理論を探求し、その実践方法を開発している。まだ確立されていない仮説を検証し、新しい可能性を試みる場所。完成された答えを提供するのではなく、共に探求する。


結語

Ictus(イクタス)とは、音楽における強拍であり、詩における強勢であり、人生における転換点である。

節目が失われつつある時代において、意図的に強点を置くことの価値は、かつてないほど高まっている。

立ち止まることは、後退ではない。自分を見失わないための、前進である。