価値の生成 — 複雑系と日本哲学から見た価値観の本質 / 第一部 価値はどこにあるのか

価値の生成 — 複雑系と日本哲学から見た価値観の本質 / 第一部 価値はどこにあるのか

記事

価値という問い

価値観については、多くのことが語られてきた。しかし、その手前にある問いがある。

「価値」とは、そもそも何か。

価値観(values)は、大切にしたいことの集まりである。

では、その「大切さ」は、どこにあるのか。

ダイヤモンドには価値がある。
この仕事には価値がある。
あなたには価値がある。
この瞬間には価値がある。

同じ「価値」という言葉を使っているのに、すべて違う何かを指している気がしないだろうか。

三つの立場

この問いに対して、哲学は大きく三つの答えを用意してきた。

客観主義——価値はモノの側にある

プラトンは「善のイデア」を説いた。

善は、人間が考え出したものではない。人間とは独立に、永遠に存在するイデア界にある。私たちはそれを「発見」するだけである。

この立場では、価値は客観的に存在する。ダイヤモンドには、人間がいなくても価値がある。私たちがすべきことは、その価値を正しく認識することである。

主観主義——価値は人の側にある

ニーチェは「価値の価値転換」を説いた。

価値は、人間が創り出すものである。神が死んだ後、価値を与えてくれる超越的な存在はいない。私たちは自ら価値を創造しなければならない。

この立場では、価値は主観的な投影である。ダイヤモンドに価値があるのは、人間がそこに価値を見出すからである。モノ自体には、何の価値もない。

関係主義——価値は「間」にある

第三の立場がある。

価値は、モノの側にも人の側にもない。両者の「間」にある。

出会いの中で生じる。関係性の中で現れる。どちらか一方には還元できない。

「生じる」という感覚

関係主義は、言葉としては理解できる。しかし、実感が湧かない。

ここで、一つの問いが役に立つ。

あるものに出会って、初めて「ああ、私はこれを大切にしたかったんだ」と気づく経験。誰にでもあるはずだ。

そのとき、価値は出会う前から自分の中にあったのだろうか。 それとも、出会いの中で生まれたのだろうか。

「発見する」という言葉は、最初からそこにあったことを前提にしている。

「創る」という言葉は、自分が作り出すことを前提にしている。

どちらもしっくりこない。もっと正確に捉えている言葉がある。

それは「生じる」という表現である。

生じるには、コントロールできない意味合いがある。自分が決めたわけでもない。でも、勝手に降ってきたわけでもない。

出会いの中で、何かが「起きる」。

結晶のメタファー

この「生じる」という感覚を、科学が説明してくれる。

過飽和溶液

砂糖を水に溶かしていく。ある濃度を超えると、もう溶けない。でも、条件によっては、溶けないはずの砂糖がまだ溶けている状態がある。これが「過飽和」。準備はできている。でも、何かが足りていない。

種結晶の誕生

過飽和溶液に刺激が加わると、結晶が生まれる。塵が一粒落ちる。 容器に傷がある。 振動が伝わる。ほんの小さなきっかけに過ぎない。しかし、その点を核として、一気に結晶が成長し始める。

種結晶は「最初からあった」わけではない

ここが重要である。

種結晶は、溶液の中にもともと存在していたのではない。刺激が加わった瞬間に、生じたのである。

種結晶の生まれ方説明
自発的核形成過飽和溶液の中で、分子がたまたま集まって最初の核ができる。偶然。
不純物がきっかけ塵、傷、異物が核の役割を果たす。外部からの刺激。
既存の結晶から一度できた結晶を砕いて、次の種にする。継承。

どの場合も、何かとの関係性の中で核が生まれている

価値と価値観の統一理論

ここで、価値と価値観の関係が明確になる。

価値は、種結晶の誕生に相当する。

過飽和状態(準備ができている心)に、 きっかけ(縁との出会い)が加わると、 核が生じる(価値が生まれる)。

価値観は、結晶の成長に相当する。

生じた核を中心に、 経験と時間を重ねて、 結晶が大きく育っていく(価値観として育つ)。

縁との出会い(過飽和状態に刺激が加わる)
    ↓
価値が生じる(核形成)
    ↓
価値観として育つ(結晶成長)

この発見が意味すること

従来、価値観は「もともと自分の中にあるもの」と考えられてきた。

自分の内側を深く探れば、本当の価値観が見つかる。自己分析、内省、自己理解。すべては「発見」のためのプロセスだった。

しかし、結晶のメタファーは違うことを教えてくれる。

種結晶は、出会いがなければ生まれない。

自分の中をいくら探しても、まだ生じていない価値は見つからない。

なぜなら、それはまだ存在していないからである。

価値は、縁の中で生じる。

だから、出会いが大切なのである。

人との出会い。 本との出会い。 経験との出会い。 問いとの出会い。

その出会いの中で、初めて、新しい価値が生じる可能性がある。

雪の結晶が教えてくれること

雪の結晶は、すべて六角形を基本としている。水分子の性質が、そうさせている。

しかし、同じ六角形でありながら、二つとして同じ形の雪の結晶はない。なぜだろうか。

それは、結晶が成長する過程で、気温、湿度、気流、あらゆる環境条件が少しずつ異なるからである。

同じ物質から始まっても、育つ環境によって、まったく違う形になる。

価値観も同じである。

人間として共通の「種」があるかもしれない。シュワルツが発見した普遍的な価値構造があるかもしれない。

しかし、その種がどう育つかは、その人の縁と経験によって決まる。

同じ価値を持っていても、それがどんな形に結晶化するかは、人それぞれ違う。

結晶は記憶を持つ

結晶には、もう一つ興味深い性質がある。

成長過程の情報が、構造の中に刻まれている。

どんな温度で育ったか。 どんな不純物があったか。 どんな速度で成長したか。

結晶を分析すれば、その履歴がわかる。

価値観にも、経験が刻まれている。

なぜこの価値を大切にするようになったのか。

そこには必ず、出会いの物語がある。

価値観は、その人の人生の結晶なのである。

エピタキシー——結晶の上に結晶が育つ

もう一つ、重要な概念がある。「エピタキシー」と呼ばれる現象。

ある結晶の上に、別の結晶が育つ。土台となる結晶の構造が、新しい結晶の形を規定する。

価値観も、積み重なる。

一つの価値観が育つと、それが土台となって、次の価値観が育ちやすくなる。あるいは、育ちにくくなる。

最初にどんな価値観が結晶化したかによって、その後の価値観の形が変わってくる。

これは、幼少期の経験が重要だという心理学の知見と一致する。

しかし同時に、結晶はいつでも成長できるということも意味している。

土台の上に、新しい層を重ねることは、いつでもできる。

結語

最初の問いに戻る。価値はどこにあるのか。

価値は、モノの側にあるのではない。

価値は、人の側にあるのでもない。

価値は、関係性の中で生じる。

縁と出会い、過飽和状態に刺激が加わったとき、結晶の核のように、価値が生まれる。

そしてその価値は、時間と経験の中で、その人固有の価値観として結晶化していく。


価値とは、縁の中で生じる結晶の核である。


参考文献

  • Plato. The Republic.(『国家』)
  • Nietzsche, F. (1887). Zur Genealogie der Moral.(『道徳の系譜』)
  • Schwartz, S. H. (2012). An overview of the Schwartz theory of basic values. Online Readings in Psychology and Culture, 2(1).

第二部「価値観はどう育つのか」へ続く