価値の生成 — 複雑系と日本哲学から見た価値観の本質 / 第二部 価値観はどう育つのか
種結晶から先へ
第一部で、価値が「生じる」瞬間を見た。
縁との出会いの中で、結晶の核のように、価値は生まれる。
しかし、核が生まれただけでは、結晶にはならない。育たなければならない。
価値観は、どのように育つのか。ここで、複雑系科学が道を照らしてくれる。
自己組織化(Self-Organization)
自然界には、設計者なしに秩序が生まれる現象がある。誰も指示していない。図面もない。
それでも、美しいパターンが現れる。これを「自己組織化」と呼ぶ。
雪の結晶
水分子が一つ一つ集まって、あの精緻な六角形を作る。
設計図はない。水分子には「全体像」が見えていない。
ただ、隣の分子とどう結合するかという単純なルールがあるだけ。
その単純なルールの繰り返しから、複雑で美しいパターンが創発する。
鳥の群れ
ムクドリの群舞を見たことがあるだろうか。
何千羽もの鳥が、一糸乱れぬ動きで空を舞う。司令塔はいない。各鳥に伝わる指示もない。
あるのは単純なルールだけ。
- 隣の鳥と一定の距離を保つ
- 隣の鳥と同じ方向に向く
- 群れの中心に向かう
この三つのルールだけで、あの美しい群舞が生まれる。
菌糸ネットワーク
森の地下には、菌糸のネットワークが広がっている。
木々はこのネットワークを通じて、栄養を分け合っている。弱った木には多くの栄養が送られる。
これを「Wood Wide Web」と呼ぶ人もいる。設計者はいない。菌糸には「森全体」が見えていない。
ただ、栄養のある方向に伸びるという単純なルールに従っているだけ。
その結果、森全体を支える巨大なネットワークが自己組織化する。
脳
ニューロンは、単純なルールに従っている。
発火したら繋がりが強まる。発火しなければ弱まる。
この単純なルールの繰り返しから、意識が、思考が、記憶が生まれる。
価値観は自己組織化する
同じことが、価値観にも言える。
個人の中で
単純なルール:「心地よい/心地よくない」
この感覚の繰り返しから、その人固有の価値観の構造が自己組織化する。
何が心地よいか、何が心地よくないか。その経験の積み重ねが、少しずつパターンを形成していく。
設計図はない。最終形をあらかじめ知っている人はいない。
それでも、その人らしい価値観の形が現れてくる。
チームの中で
単純なルール:「価値観を共有する、対話する」
このルールの繰り返しから、組織の文化が自己組織化する。
誰も「こういう文化にしよう」と設計したわけではない。
でも、対話を重ねるうちに、チーム固有の雰囲気、暗黙のルール、共通の感覚が生まれてくる。
これが意味すること
価値観は「設計できない」。トップダウンで「この価値観を持て」と命じても、本当の意味で根づくことはない。
しかし、条件を整えることはできる。
| 整えられる条件 | 対応するもの |
|---|---|
| 過飽和状態をつくる | 経験を積む、感受性を開く |
| 刺激を与える | 縁との出会い、対話、ワークショップ |
| 成長の時間を確保する | 内省、振り返り、日々の積み重ね |
| 環境を整える | 安心できる場、信頼関係 |
自己組織化の条件を整えれば、価値観は自ら育っていく。
相転移(Phase Transition)
自己組織化には、特別な瞬間がある。
水が沸騰する瞬間を考える
99度の水と100度の水は、温度的にはほとんど同じ。しかし、その間に決定的な境界がある。
100度を超えた瞬間、水は沸騰し始める。液体から気体へ。全く違う状態になる。
これが相転移
変化は徐々に起きるのではない。ある閾値を超えた瞬間、一気に起きる。
価値観の相転移
価値観が育つ過程にも、相転移がある。普段は少しずつ経験を積み重ねている。
モヤモヤしている。何かが引っかかっている。でも、言葉にならない。
それが、ある出会いの瞬間、一気に結晶化する。
「ああ、これだったんだ」と世界の見え方が変わる。
これは学習ではない。学習は徐々に進む。相転移は一瞬で起きる。
臨界点の近く
相転移が起きる直前の状態を「臨界点」と呼ぶ。
臨界点の近くでは、小さな刺激が巨大な変化を引き起こす。
普段なら何でもない一言が、人生を変えることがある。
それは、その人がすでに臨界点の近くにいたからである。
準備ができていた。過飽和状態だった。そこに、最後の一押しがあった。
ワークショップで見える瞬間
参加者の目の色が変わる瞬間がある。
それは学びではない。相転移である。
カオスの縁(Edge of Chaos)
価値観が育つには、ある特別な場所がある。
秩序とカオスの間
| 状態 | 特徴 |
|---|---|
| 秩序すぎる | 固定、硬直、変化しない |
| カオスすぎる | ランダム、崩壊、意味がない |
| カオスの縁 | 秩序とカオスの間、最も創発が起きる場所 |
生命はカオスの縁にいる
完全な秩序は、変化できない。死んでいる。
完全なカオスは、パターンを維持できない。崩壊している。
生命は、その間にいる。秩序を保ちながら、変化し続ける。
組織に当てはめると
| 状態 | 組織文化 |
|---|---|
| 秩序すぎる | 軍隊文化、信念の支配、ルールで縛る |
| カオスすぎる | 無秩序、バラバラ、方向性がない |
| カオスの縁 | 冒険する組織、創発が起きる文化 |
価値観も同じ
信念で固めすぎたら、価値観は成長しない。硬直する。
何も大切にしなければ、価値観は崩壊する。自分を見失う。
価値観は「カオスの縁」で育つ。
ある程度の軸を持ちながら、新しいものに開かれている。
その微妙なバランスの場所で、創発が起きる。
散逸構造(Dissipative Structure)
ここで、もう一つの重要な発見がある。
イリヤ・プリゴジン。ノーベル化学賞受賞者。
逆説的な発見
従来、秩序は安定から生まれると考えられていた。
平衡状態。閉じた系。エネルギーの出入りがない状態。
しかしプリゴジンは、逆のことを発見した。
新しい秩序は、不安定な状態でこそ生まれる。
散逸構造とは
エネルギーが流れ込み、流れ出ていく「開いた系」。平衡から離れた、不安定な状態。
そこでこそ、新しいパターンが自己組織化する。
ベナール・セル
水を下から熱する。最初は何も起きない。熱は拡散していくだけ。
しかし、温度差がある閾値を超えると、突然、美しい六角形のパターンが現れる。
対流が自己組織化して、規則正しいセル構造を作るのである。
無秩序(熱)が流れ込むことで、秩序(パターン)が生まれる。
価値観に当てはめると
| 状態 | 結果 |
|---|---|
| 閉じている、安定している | 変化なし、成長なし |
| 開いている、揺らいでいる | 新しい価値観が生じる可能性 |
「傷」の意味が変わる
傷つくこと。揺らぐこと。不安定になること。それは壊れることではない。
新しい秩序が生まれる条件である。
安定した人生からは、新しい価値観は生まれにくい。
揺さぶられ、問いを突きつけられ、今までの自分が通用しなくなる。
その不安定さの中でこそ、新しい価値観が結晶化する。
アトラクター(Attractor)
カオス理論に、アトラクターという概念がある。
システムが「引き寄せられていく状態」のことである。
固定点アトラクター
振り子は、最終的に止まる。どんな動きをしていても、最後は一点に収束する。
これが固定点アトラクター。
リミットサイクル・アトラクター
心臓の鼓動。同じリズムを繰り返す。一点ではないが、決まったパターンに収束する。
ストレンジ・アトラクター
ここが面白い。複雑な軌道を描く。完全には予測できない。
でも、全体として見るとパターンがある。
一度もまったく同じ場所を通らないのに、ある領域に留まり続ける。
動きながら、安定している。
価値観はストレンジ・アトラクターである
| 特徴 | 価値観では |
|---|---|
| 行動を引き寄せる | 判断基準として機能する |
| 完全には予測できない | 同じ価値観でも人によって行動は違う |
| でもパターンがある | その人らしさ、一貫性 |
| 領域に留まる | ブレない軸 |
信念との違いがここでも明確になる
| 信念 | 価値観 | |
|---|---|---|
| アトラクターの種類 | 固定点アトラクター(一点に収束) | ストレンジ・アトラクター(動的な安定) |
| 動き | 止まる | 動き続ける |
| 適応性 | 硬直 | 柔軟 |
| 生命性 | 死んでいる | 生きている |
信念は、一点に収束させようとする。「こうあるべき」という固定点。
価値観は、動きながら安定する。「大切にしたい」という方向性。
結語
価値観は、自己組織化する。
設計者はいない。図面もない。
単純なルール(心地よい/心地よくない)の繰り返しから、複雑で美しいパターンが創発する。
その成長には、特別な条件がある。
臨界点に達したとき、相転移が起きる。
秩序とカオスの間、カオスの縁で、最も創発が起きる。
閉じた系ではなく、開いた系、散逸構造の中で、新しい秩序が生まれる。
そして育った価値観は、ストレンジ・アトラクターとして機能する。
固定せず、動き続けながら、その人らしさを維持する。
価値観は、生きた秩序である。
動きながら、パターンを保っている。
変化しながら、一貫している。
参考文献
- Prigogine, I., & Stengers, I. (1984). Order out of Chaos: Man’s New Dialogue with Nature.(『混沌からの秩序』)
- Kauffman, S. (1995). At Home in the Universe: The Search for the Laws of Self-Organization and Complexity.
- Lorenz, E. N. (1963). Deterministic nonperiodic flow. Journal of the Atmospheric Sciences, 20(2), 130-141.
- Waldrop, M. M. (1992). Complexity: The Emerging Science at the Edge of Order and Chaos.