価値観と信念

価値観と信念

記事

「自分の価値観に従って生きる」という言葉を、私たちはよく耳にする。

しかし、その「価値観」と呼んでいるものは、本当に価値観だろうか。多くの場合、それは信念である。

価値観と信念。似ているようで、全く異なるもの。この違いを知ることは、自分自身を知ることの出発点であり、組織のあり方を根本から問い直す鍵でもある。


価値観と信念の違い

価値観とは、大切にしたい概念である。信念とは、正しいと信じる概念である。

この違いは、言葉の形に現れる。

価値観は「〜したい」「〜っていいね」という形をとる。信念は「〜すべき」「〜とはこうだ」という形をとる。

例えば、好奇心について考えてみよう。

価値観としての好奇心は、「好奇心って大切だ」「好奇心っていいよね」になる。これを人に伝えたとき、「わかる」という共感や、「自分はこう思う」という対話が生まれる。

信念としての好奇心は、「好奇心を持つべきだ」「好奇心がなければ人は成長しない」になる。これを人に伝えたとき、それが正しいかどうかの判断がなされる。対話ではなく、議論が始まる。


文脈を超えるもの、文脈に縛られるもの

価値観と信念のもう一つの決定的な違いは、文脈への依存度である。

価値観は、個人や時間や空間の文脈を超える。「自由」を大切にする人は、どの時代に生まれても、どの国にいても、「自由」を大切にする。それは普遍的なものである。

一方、信念は個人や時間や空間の文脈に依存する。「成功しなければ価値がない」という信念は、競争社会で育った人に形成されやすい。「人に迷惑をかけてはいけない」という信念は、日本的な文化の中で強化されやすい。

認知心理学者アーロン・ベックは、この文脈依存的な認知構造を「スキーマ」と呼んだ。幼少期の経験から形成され、その後の思考、感情、行動のパターンを規定する深層の構造。それが信念である。

ハイデガーの言葉を借りれば、信念は「被投性(Geworfenheit)」——私たちが自分で選ばずに投げ込まれた条件の中で形成されたものである。

信念は、かつて自分を守るために必要だった「鎧」であることが多い。その環境で生き延びるために身につけた防衛機制である。


共有できるもの、共有できないもの

ここに、最も重要な違いがある。

価値観は他者と共有できる。信念は他者と共有することができない。

「安全」を大切にする人と「自由」を大切にする人は、信念のレベルでは対立するかもしれない。「安定した職に就くべきだ」と「やりたいことをやるべきだ」は、ぶつかり合う。

しかし、「大切なものがある」という価値観の層では、繋がることができる。「あなたには安全が大切なんだね」「あなたには自由が大切なんだね」——その地点から、対話が始まる。

シュワルツ(Schwartz, 2012)の研究が示すように、価値観は文化を超えて普遍的に存在する。82カ国、30万人以上のデータが、人間には共通の価値観構造があることを証明している。

私たちは、価値観という深い層で繋がることができる存在なのである。


信念が生む組織文化

これまでの多くの組織は、信念を基盤に運営されてきた。

軍事的な組織文化。上意下達の命令系統。明確なルールと規律。「こうあるべき」という信念を共有し——というより強制し——従わない者には罰を、従う者には報酬を与える。

この構造は、一定の成果を上げてきた。工業化時代には、効率的に同じ作業を繰り返す人材が必要だった。信念を統一し、ルールで縛り、物質的な報酬で動機づける。それで組織は回った。

しかし、この構造には根本的な限界がある。

信念は分離を生む。「正しい」と「間違い」を分け、「我々」と「彼ら」を分ける。信念を強制された人々は、表面的には従いながら、心のどこかで疎外感を抱える。

そして今、物質的な報酬だけでは人の幸福は満たされなくなってきた。給与が上がっても、心が満たされない。成功しても、虚しさが残る。信念と報酬だけで動く組織は、静かに崩壊し始めている。


価値観が生む組織文化

今、焦点が当たっているのは、価値観を共有する組織文化である。

冒険的な組織文化。共に夢を実現していく仲間としての結びつき。「こうあるべき」ではなく、「これを大切にしたい」という価値観を共有する。

価値観を共有し、互いを深く理解し、夢を語り合える関係があれば、信念の違いは問題にならない。むしろ、互いの信念を尊重し合うことができる。「あなたはそう考えるんだね」と、違いを認め合える。

この組織には、結果的に物質的な利益も生まれる。しかし、メンバーが本当に受け取っているのは、愛情と尊敬に他ならない。

仲間の価値観を深く理解する対話が、未知の領域に踏み出す力を与える。技術的に解決できる問題ではなく、人と人の間で生じる複雑な問題——ハイフェッツが「適応課題」と呼んだもの——を、易々と乗り越える組織が生まれる。

組織として価値観を共有し、結束を築き上げることができると、ルールに依存する必要がなくなる。メンバーは、価値観に基づいて主体的に思考し、判断し、行動することができる。

命令されるから動くのではない。価値観が同じだから、自然と同じ方向を向く。


鎧を脱ぐということ

多くの人が「自分の価値観」だと思っているものは、実は信念である。

社会から期待されること。親から教えられたこと。生き延びるために身につけたこと。それらは価値観ではなく、信念という名の鎧である。

その鎧は、かつてのあなたを守ってくれた。しかし、その鎧を着たままでは、本当に大切なものに手が届かないこともある。

価値観の層にアクセスするということは、その鎧の下にある本当の自分に触れることである。それは時に恐怖や不安を伴う体験かもしれない。しかし、そこにしか本当の自由はない。

そして、鎧を脱いだ者同士が出会うとき、本当の対話が始まる。本当の組織が生まれる。


結語

価値観は、大切にしたい概念。信念は、正しいと信じる概念。

価値観は共有できる。信念は共有できない。

価値観は対話を生む。信念は議論を生む。

価値観は結束を生む。信念は分離を生む。

あなたが「価値観」と呼んでいるものを、もう一度見つめ直してみてほしい。それは「〜っていいね」と言えるものだろうか。それとも「〜すべき」という形をしているだろうか。

鎧の下には、あなたの本当の価値観が静かに息づいている。

そして、その価値観を共有できる仲間と出会えたとき、あなたの人生は——そして組織は——根本から変わり始める。


参考文献

  • 安斎勇樹 (2023).『冒険する組織のつくりかた:「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』日本経済新聞出版.
  • Beck, A. T. (1976). Cognitive therapy and the emotional disorders. New York: International Universities Press.
  • Heidegger, M. (1927). Sein und Zeit. Tübingen: Max Niemeyer Verlag.(『存在と時間』)
  • Heifetz, R. A. (1994). Leadership without easy answers. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  • Schwartz, S. H. (2012). An overview of the Schwartz theory of basic values. Online Readings in Psychology and Culture, 2(1).