価値の生成 — 複雑系と日本哲学から見た価値観の本質 / 第三部 価値観はどう繋がるのか
個から関係へ
第一部で、価値は縁の中で「生じる」ことを見た。
第二部で、価値観は自己組織化しながら「育つ」ことを見た。
しかし、まだ問いが残っている。価値観は、どのように人と人を「繋ぐ」のか。
ここで、物理学のさらに深い層に降りていく。
共鳴、同期、量子もつれ。そして、フラクタル、ホログラム、生命。
共鳴(Resonance)
物理学の基本原理。
固有振動数が一致したとき、小さなエネルギーで大きな振動が生まれる。
ブランコを思い出してほしい
タイミングを合わせて押すと、小さな力で大きく揺れる。
タイミングがズレると、どんなに強く押しても揺れない。
共鳴は「強さ」の問題ではない。「合う」かどうかの問題である。
倍音(Harmonics)
一つの弦を弾くと、基本の音だけでなく、倍音が鳴る。
1倍、2倍、3倍、4倍…の周波数。
面白いことに、これらは同じ音ではないのに、美しく響き合う。
価値観の共鳴
| 共鳴の種類 | 価値観では |
|---|---|
| 同じ周波数 | 同じ価値観を持つ人同士。すぐ分かり合える |
| 倍音 | 違う価値観だけど響き合う。補完関係 |
| 不協和音 | 価値観がぶつかる。でも音楽ではこれも必要 |
チームビルディングの本質がここにある。同じ価値観の人を集めることではない。
異なる価値観が、倍音のように響き合うこと。
自分志向と他者志向。探求と安定。挑戦と調和。違う音なのに、一緒に鳴らすと豊かなハーモニーになる。
同期(Synchronization)
共鳴よりも、さらに不思議な現象がある。
メトロノームの実験
複数のメトロノームを、バラバラのリズムで動かす。
それを同じ台の上に置く。最初はバラバラ。しばらくすると全部揃う。
誰も指示していない。勝手に同期する。
なぜ起きるのか
台という「共有された場」を通じて、微細な振動が伝わり合う。
お互いの動きが、お互いに影響し合う。
やがて、最もエネルギー効率の良い状態——同期——に落ち着く。
チームに当てはめると
| メトロノーム | チーム |
|---|---|
| 台 | 共有された場(心理的安全性、対話の空間) |
| 振動の伝達 | 言葉、表情、存在感 |
| 同期 | チームの一体感、阿吽の呼吸 |
同期の条件
同期が起きるには、繋がっている必要がある。
メトロノームを別々の台に置いたら、永遠にバラバラのまま。
場を共有して初めて、同期が可能になる。
心臓の細胞
心臓の細胞は、一つ一つが独自のリズムで拍動する能力を持っている。
しかし、繋がると全体で一つのリズムになる。
バラバラに動いたら、心臓は機能しない。繋がることで、生命が維持される。
脳波の同期
深い対話をしているとき、二人の脳波が同期することが研究で確認されている。
話し手と聞き手の脳が、同じパターンを描く。対話とは、脳の同期現象なのかもしれない。
量子もつれ(Quantum Entanglement)
ここから、さらに深い領域に入る。
アインシュタインが「不気味な遠隔作用」と呼んで嫌った現象。
しかし、実験で繰り返し確認されている。現実である。
何が起きるのか
二つの粒子が一度「もつれる」と、どんなに離れていても、一方を観測した瞬間、もう一方の状態が決まる。光速を超えて。距離は関係ない。
地球の裏側にあっても、宇宙の反対側にあっても、一方を観測した瞬間、もう一方が反応する。
重要なのは「関係性が先」ということ
| 従来の物理学 | 量子もつれ |
|---|---|
| まず「モノ」がある、それが関係する | まず「関係」がある、モノはその現れ |
| 部分を集めて全体になる | 全体が先、部分は後 |
| 分離が基本 | 繋がりが基本 |
縁起の思想との一致
西洋近代の考え方:個人が先、関係は後。
仏教の縁起説:関係が先、個人はその結び目。
量子力学が、2500年前の仏教哲学に追いついている。
観測問題——見るまで決まらない
量子力学には、もう一つの謎がある。粒子は観測されるまで「確率の雲」として存在する。
どこにあるか決まっていない。あらゆる可能性が重なり合っている。観測した瞬間、一つの状態に「収縮」する。
価値に当てはめると
| 量子力学 | 価値 |
|---|---|
| 観測前 | 可能性の重ね合わせ |
| 観測 | 縁との出会い、相互作用 |
| 収縮 | 一つの状態として価値が生じる |
価値は「最初からそこにある」のでも「自分が作る」のでもない。
関係性の中で、出会いの瞬間に、可能性から現実になる。
関係性の実在論(Relational Ontology)
現代物理学者カルロ・ロヴェッリ。『時間は存在しない』の著者。
彼の主張は、モノは存在しない。関係だけが存在する。すべての性質は、他の何かとの関係においてのみ現れる。
価値観に翻訳する
| ロヴェッリ | 価値観 |
|---|---|
| モノは単独では性質を持たない | 人は単独では価値観を持たない |
| 関係の中で性質が現れる | 縁の中で価値観が生じる |
| 「〇〇である」ではなく「〇〇との関係で△△」 | 「私の価値観は」ではなく「この縁の中で私は」 |
「私の価値観」という言い方すら、本当は正確ではないのかもしれない。
価値観は「私のもの」ではない。
私と世界の間に生じているもの。
フラクタル(Fractal)
ここから、パターンの話に入る。自然界のいたるところにあるパターン。
自己相似性
部分を拡大すると、全体と同じ形が現れる。
| 例 | 部分 | 全体 |
|---|---|---|
| 海岸線 | 小さな入り江 | 大きな湾と同じ形 |
| 木 | 枝 | 木全体と同じ分岐パターン |
| 血管 | 毛細血管 | 動脈と同じネットワーク構造 |
| 雲 | どこを切り取っても | 雲の形 |
スケールを変えても同じパターン
10倍に拡大しても、100倍にしても、1000倍にしても、同じ構造が現れ続ける。
価値観のフラクタル
| スケール | 価値観の現れ |
|---|---|
| 一瞬の判断 | この言葉を言うか言わないか |
| 一日の選択 | 今日何に時間を使うか |
| 人生の決断 | どんな仕事を選ぶか |
| 生き方全体 | 何のために生きるか |
すべてのスケールで、同じ価値観のパターンが現れる。
一瞬の判断に、人生全体のパターンが映っている。だから「些細なこと」は存在しない。
ホログラム(Hologram)
さらに不思議な現象がある。
普通の写真との違い
| 普通の写真 | ホログラム |
|---|---|
| 半分に切ると、半分の像 | 半分に切っても、全体の像 |
| 情報は場所に固定 | 情報は全体に分散 |
| 部分は部分でしかない | 部分に全体が含まれる |
ホログラムをどんなに小さく切っても、そこに全体像がある。解像度は下がる。でも、全体は失われない。
脳はホログラム的
神経科学者カール・プリブラム。記憶は脳の特定の場所に保存されていない。脳全体に分散している。
だから、脳の一部が損傷しても記憶が完全には消えない。
価値観もホログラム的かもしれない
| ホログラム | 価値観 |
|---|---|
| 部分に全体がある | 一つの行動にその人の全価値観が現れる |
| 全体に部分がある | 価値観全体が一つひとつの行動に宿る |
| 切っても全体が残る | 状況が変わっても価値観の本質は消えない |
チームに当てはめると
| 個人 | チーム |
|---|---|
| 個人の価値観に | チームの文化が映っている |
| チームの文化に | 個人の価値観が映っている |
部分と全体が相互に含み合っている。
インドラの網——華厳経の世界観
仏教にこの概念があった。インドラ神の宮殿に、無限に広がる網がある。
各結び目に宝珠がある。一つの宝珠に、他のすべての宝珠が映り込む。
そして、その映り込みにも、無限にすべてが映る。
一人の価値観が変わると
その人に映り込んでいた全体が変わる。全体に映り込んでいたその人も変わる。
一人の変容が、全体の変容と不可分。
ワークショップで一人が深い気づきを得ると、場全体の空気が変わる。それは「影響を受けた」のではない。
ホログラム的に、全体がすでに繋がっていたから。
生命とは何か
シュレーディンガー。量子力学の父の一人。彼が問うた根源的な問い。
生命の定義
生命とは、負のエントロピーを食べるものである
エントロピーとは
無秩序の度合い。宇宙は放っておくとエントロピーが増える。乱雑になっていく。
熱力学第二法則。覆せない。
しかし生命は逆をいく
秩序を作り続ける。自分という構造を維持し続ける。
どうやって?
開いた系であること
外から秩序(食べ物、光、情報)を取り込み、無秩序(熱、排泄、カオス)を外に捨てる。
開いた系で、秩序を維持する。
これは散逸構造と同じ原理である。
価値観は「意味のエントロピー」を下げる
ここで、すべてが繋がる。
| 物理 | 意味 |
|---|---|
| エネルギーを取り込む | 経験を取り込む |
| 秩序を作る | 意味を作る |
| エントロピーを外に捨てる | 無意味なものを手放す |
| 生命を維持する | 自己を維持する |
価値観がなければ、経験はカオスのままである。何が大切で、何が大切でないか。わからない。
すべてが等しく、すべてが無意味。価値観によって、経験に秩序が生まれる。
これは大切。これは大切ではない。意味の世界にパターンが現れる。
価値観を持つことは、意味的に「生きている」ということ。
これまでを総括する
第一部から第三部まで、見てきたことを一つに繋げる。
関係性の中で(量子もつれ、縁起)
↓
開いた系で(散逸構造)
↓
カオスの縁で(複雑系)
↓
価値が生じ(核形成、結晶の誕生)
↓
共鳴し同期し(共振、繋がり)
↓
自己組織化して(創発、パターンの出現)
↓
フラクタルに全スケールに現れ(自己相似)
↓
ホログラムのように部分と全体が映り合い(インドラの網)
↓
意味のエントロピーを下げ続ける(生命活動)
↓
価値観として結晶化していく
結語
価値観とは、意味の宇宙における生命現象である。
それは、関係性の中で生じる。縁との出会いがなければ、価値は生まれない。
それは、自己組織化する。設計者はいない。自ら育っていく。
それは、カオスの縁で育つ。秩序すぎても、カオスすぎても、成長しない。
それは、共鳴し、同期する。人と人を繋ぎ、響き合わせる。
それは、フラクタルに現れる。一瞬の判断に、人生全体が映っている。
それは、ホログラム的である。部分に全体が、全体に部分が含まれている。
それは、意味のエントロピーを下げ続ける。
だから、価値観を持つことは、生きることなのである。
縁と育てる
最後に、日本哲学に戻る。
西洋近代は、個人を基点にした。自分がある。世界がある。関係は二次的。
日本哲学は、関係を基点にした。縁がある。間がある。個人はその結び目。
九鬼周造は、偶然の出会いに価値を見た。
西田幾多郎は、場所の中で自己が生成することを見た。
和辻哲郎は、間柄の中で人間が存在することを見た。
量子力学は、関係性が存在の基盤であることを示した。
複雑系科学は、自己組織化と創発を示した。
生命科学は、開いた系で秩序が維持されることを示した。
東洋の知恵と西洋の科学が、同じ場所に辿り着いている。
結語
価値とは、縁の中で生じる結晶の核である。
価値観とは、その核から育つ、生きた秩序である。
それは与えられるものでも、創るものでもない。
関係性の中で生じ、自己組織化し、育っていくもの。
価値観を持つとは、意味的に生きているということ。
価値観を育てるとは、生命活動を続けるということ。
私たちは、縁の中で価値を生み、
価値観として結晶化させ、
共鳴し、同期し、繋がり合い、
意味の宇宙を生きている。
価値観とは、意味の宇宙における生命現象である。
参考文献
- 九鬼周造 (1935).『偶然性の問題』岩波書店.
- 西田幾多郎 (1911).『善の研究』岩波書店.
- 和辻哲郎 (1934).『人間の学としての倫理学』岩波書店.
- 木村敏 (1988).『あいだ』弘文堂.
- Rovelli, C. (2017). Reality Is Not What It Seems: The Journey to Quantum Gravity.(『時間は存在しない』)
- Schrödinger, E. (1944). What Is Life?(『生命とは何か』)
- Bohm, D. (1980). Wholeness and the Implicate Order.
- Capra, F. (1996). The Web of Life: A New Scientific Understanding of Living Systems.
- Prigogine, I., & Stengers, I. (1984). Order out of Chaos: Man’s New Dialogue with Nature.
- Schwartz, S. H. (2012). An overview of the Schwartz theory of basic values. Online Readings in Psychology and Culture, 2(1).
完